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名古屋地方裁判所 昭和52年(ワ)1779号 判決 1987年8月24日

原告

三輪吉美

三輪智津子

右両名訴訟代理人弁護士

尾関闘士雄

山田幸彦

被告

右代表者法務大臣

嶋崎均

右訴訟代理人弁護士

片山欽司

右指定代理人

大脇啓吾

坂本信夫

日比範夫

福山敬治

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告ら各自に対し、金三二六一万三八九五円及びこの内金二九六一万三八九五円に対する昭和五一年七月一三日から、その余の金三〇〇万円に対する本判決言渡の日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告吉美は訴外亡三輪学(以下「学」という。)の父であり、原告智津子は学の母である。

被告は、名古屋大学医学部附属病院(以下「名大病院」という。)の設置経営者であり、訴外西村欣也(以下「西村」という。)及び同福井洋一(以下「福井」という。)はいずれも、昭和五一年七月三日当時、同病院に勤務して医療業務に従事していた医師である。

2  事故の発生

(一) 学は、原告智津子とともに昭和五一年七月三日名大病院に赴き、同病院において試験薬を用いて学の心臓疾患を検査することを内容とする診療を受ける手続をなし、もつて被告との間に右同旨の診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結した。

(二) 本件診療契約に基づき、西村は、同日午前一一時四〇分ころ、名大病院第三内科循環器研究室において、検査用色素であるジアグノグリーンの水溶液約一ミリリットルを学の静脈に注射し、同時に、福井は、所要の機器を操作して、当該検査を開始した。しかるところ、学は同日午前一一時四二、三分ころ、悪心を訴え、嘔吐し、引き続いて無呼吸、心音聴取不能の状態となり、同月一三日午後一〇時一〇分に死亡した(以下「本件事故」という。)。

(三) 学は、ジアグノグリーンによるアナフィラキシーショックにより死亡したものである。

3  ジアグノグリーンの危険性に基づく過失

(一) 副作用

ジアグノグリーンは、一般名をインドシアニングリーンと称する検査用色素の商品名であり、その略称はICG(以下この略称を用いる。)、その製造者は訴外第一製薬株式会社であるところ、日本消化器病学会雑誌第七一巻第六号(昭和四九年六月発行)には、インドシアニングリーンは昭和四一、二年ころから試験的に使用され、その直後ショツク、嘔吐等の副作用があつた旨及び今後副作用事例は更に増加すると予測される旨の研究者による報告がなされている。

また、本件事故当時ICGに添付されていた説明書中の使用上の注意欄には、「1 次の患者には慎重に投与すること ヨード過敏症、アレルギー体質者(本剤二五mg(一バイアル)中微量のヨウ素(約三mg)を含有しているため、ヨード過敏症をおこすおそれがある。)2 副作用 ヨード過敏症 まれに嘔吐、じん麻疹、悪心、発熱、ショック様症状をおこすことがある。」と記載されていた。

さらに、厚生省は、昭和五〇年一〇月、医薬品副作用情報一五号において、ICGによると思われるショック症例として、死亡例一件、その他四件を紹介している。

(二) 予見可能性

名大病院は、名古屋地方最高峰の医療技術と設備を保有し、医薬品の副作用に関し厚生省からモニターに指定されてもいる。しかも、その第三内科は、インドシアニングリーンによる循環機能検査の研究、実用化についての草分的存在であつて、その安全性の検討及び副作用情報の把握等について、最も高度の知識を有するものである。

このことと右(一)の事実を総合すると、名大病院勤務の医師としては、ICGにより、ヨード過敏症を有する者及びアレルギー体質者について、死に至る重篤な副作用が発生することを当然予見し、又は予見しえたものというべきである。

(三) 学の体質

学は、アレルギー体質者であつた。すなわち、同人は、元来風邪をひき易く、昭和五〇年七月二四日から昭和五一年六月二九日までの間一年近くも急性鼻炎、急性副鼻腔炎、鼻汁過多、感冒、急性咽頭炎等の病名で、継続して通院治療をしていた。また、母親である原告智津子は、山林等に立ち入るとすぐかぶれる体質であつて、正にアレルギー体質者であると考えられるが、これらの事実は、学がアレルギー体質者であつたと判断するに十分である。そう断定できないとしても、少なくとも右体質者である可能性がある者として同人を扱うべきであつた。

(四) 予診義務違反

名大病院勤務の医師としては、ICGにより死に至る重篤な副作用が発生することを予見し、又は予見しえたのであるから、これを用いるに先立つて、学が前記説明書記載の慎重に投与することとされている者に該当するかどうかを的確に識別する義務があつたものというべきである。しかして、その方法は、右副作用の重篤なことに照らし、まず、学に対し、疾病及び体質的素因の有無やその徴証となる事由の有無を具体的に、かつ、適切に質問をすることによる問診及び視診をなすべきものであり、さらに、学は、昭和三五年一一月一五日生まれで、本件事故当時満一五歳の高校一年生であつたから、このような場合には、同伴の母親である原告智津子に対しても右内容の質問及び学の発育過程や親族の病歴等について質問を行い、その上、学についてパッチテストをなすべきものであつた。

しかるに、西村及び福井はもとより、名大病院のどの医師も、右義務を全く履行しなかつた。

(五) 説明義務違反

名大病院勤務の医師としては、ICGにより死に至る重篤な副作用が発生することを予見し、又は予見しえたのであるから、これを用いて検査を行う場合には、検査の内容とその必要性、有効性及び危険性等につき、学及び同伴した保護者である原告智津子に対し誠実に説明をなし、その承諾を得る義務があつたところ、西村及び福井はもとより、同病院のどの医師も右義務を履行しなかつた。

(六) 救急準備義務違反

名大病院勤務の医師としては、ICGにより死に至る重篤な副作用が発生することを予見し、又は予見しえたのであるから、これを用いて検査を行う場合には、副作用発現の際直ちに適切な救急処置をなしうるようあらかじめ人的、物的準備をなす義務がある。

しかるに、西村及び福井は、右義務を怠り、本来診療行為をなす場所ではなく、正規の診療用ベッドも存在しない研究室において、他の医師や看護婦も立ち会わせず、救急用薬品や器具等の用意もしないまま、ICGを用いて学に対する検査行為をなした。

4  救急処置上の過失

(一) 患者がショック状態に陥つた場合、医師としては、患者に対し、直ちに、適切な気道確保、人工呼吸及び心臓マッサージを行う義務がある。

(二) しかるに、西村は、ショック状態に陥つて吐き気を催した学に対し、右義務を怠り、誤つて深呼吸をするよう指示したため、嘔吐物を誤嚥せしめて気管を閉塞させ、人工呼吸を困難にした。

(三) また、西村は、その際学に対し、右義務に違反して、気道確保及び心臓マッサージをしなかつたものであり、仮に心臓マッサージをしたとしても、それは学を弾力のある簡易ベッドの上に寝かせたままなしたもので、十分な効果を生じえない不適切なものであつた。

5  本件事故についての責任

(一) 債務不履行責任

前記3の(四)ないし(六)、4の(一)の各義務はいずれも本件診療契約上履行すべき被告の債務であり、名大病院勤務の医師は右債務の履行補助者であるところ、本件事故は右履行補助者の右各義務違反により発生したものであるから、被告は、債務不履行によるものとして、これによる損害を賠償する責任がある。

(二) 不法行為責任

被告は名大病院において医療事業をなしているものであり、西村、福井その他の同病院勤務の医師は被告の被用者であるところ、本件事故は、右医療事業の執行中に、右被用者の過失によつて発生したものというべきであるから、被告は、民法七一五条により、これによつて生じた損害の賠償責任がある。

6  本件事故による損害

(一) 学の逸失利益は四四二二万七七九一円である。

(計算式)

昭和五七年賃金センサス大卒者平均年収

四五六万二六〇〇円

生活費控除

五〇パーセント

一五歳から六七歳までの新ホフマン係数より一五歳から二二歳までの新ホフマン係数を控除したもの

一九・三八七一

四五六万二六〇〇円×〇・五×一九・三八七一=四四二二万七七九一円

(二) 学は、将来ある若い命を本件事故により失つたものであり、その精神的苦痛は甚大であつて、同人に対する慰藉料の額としては五〇〇万円が相当である。

(三) 原告らは、学の父母であつて、同人の右(一)、(二)の損害賠償請求権を二分の一ずつ相続した。

(四) 学は原告らの一人息子であつて、同人を失つた原告らの精神的苦痛は甚大であるから、原告らに対する慰藉料の額としては、それぞれ五〇〇万円が相当である。

(五) 以上のとおり、原告智津子及び同吉美はそれぞれ、被告に対し、二九六一万三八九五円の損害賠償請求権を有するところ、被告が任意にその支払をしないため、弁護士に委任して本件訴訟を提起せざるをえなくなつた。しかして、弁護士費用中本件事故と相当因果関係のある損害と目すべき額は、原告ら各自につき右債権額の約一割である三〇〇万円とするのが相当である。

よつて、原告らはそれぞれ、被告に対し、主位的に債務不履行による損害賠償請求権に基づき、予備的に不法行為による損害賠償請求権に基づき、前記6の(五)の金額の合計三二六一万三八九五円及び弁護士費用以外の損害金二九六一万三八九五円に対する昭和五一年七月一三日から、弁護士費用金三〇〇万円に対する本判決言渡の日の翌日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

<以下、略>

理由

一請求原因1、2の(一)、(二)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

しかして、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、<証拠>中右認定に反する部分はたやすく措信できず、他に右認定を左右しうる証左はない。

1  学は、原告らの長男として生まれ、昭和五一年四月、岐阜県立多治見北高校に入学したが、間もなく同校で行われた健康診断を受けたところ、心臓に異常音があると診断され、同校の指導により、同年六月二〇日、検診センターに赴いて、阿久根の診察を受けた結果、同人から名大病院でより精密な検査を受けるよう指示された。

なお、学は、検診センターにおいて、所定の予診表記載の項目に則つた看護婦の「ときどきひどい風邪をひくか。」という質問に対して「ひかない」と、「風邪にかかると長びくか。」という問に対して「ながくない」と、「発しん、ジンマシンがよく出るか。」という問に対して「出ない」とそれぞれ答えている。右看護婦は、右予診表に右問答の結果その他の事項を記載して、これを阿久根に提出した。

2  阿久根は、同月二九日、名大病院第二外科において学に対し心電図検査をなし、その胸部のレントゲン撮影をなしたが、その結果、学には心房中隔欠損症の疾患がある疑いがあり、正確な診断のためには、同病院第三内科において色素希釈法検査を受けることが必要であると判断した。そこで、阿久根は、同日、学及び同伴の原告智津子に対し、心臓の中に穴があいている可能性があるので、それをより確実に見るために、心音図検査という心臓の雑音を分析して調べる検査と薬を入れて心臓の中のもれを調べる色素希釈試験という検査が必要だから、それを名大病院第三内科で受けるようにという旨の説明ないし指示をした。

3  そこで、学は、同年七月三日、原告智津子とともに名大病院第三内科に来て、まず心音図室において、福井による心音図検査を受けたが、その際、福井は、学に対し、これまでに大きな病気をしたことがあるか、薬や注射で発しんが出たとかむかむかしたことはないか、食物によつてじんましんが出るとか、かゆくなるということがあつたかどうかと質問したが、学はいずれもこれを否定する返答をした。さらに、福井は、上半身裸体となつている学のズボンのバンドの当たる部分や靴下のゴムの当たる部分その他の皮膚面を観察して、発赤等の異常のないことを確認した。

4  その後引き続いて、福井と西村は、第三内科循環器研究室において、学に対し、色素希釈法検査を実施した。すなわち、同日午前一一時四〇分ころ、まず西村において、ICG水溶液一ミリリットルを学の肘静脈に注射し、福井において、検査機器の操作を行い、注射後約一分で検査を終了したものである。

5  しかし、得られた色素希釈曲線によつては学の心臓が異常かどうかの判断をなしえなかつたので、福井及び西村において二回目の検査をなすべく準備中、同日午前一一時四二、三分ころに至り、学は、吐き気を訴え、原告智津子の広げたハンカチの中に嘔吐した。さらに、学が苦しいという趣旨のことを言うので、西村は、深呼吸をするよう指示し、かつ、聴診をするため学の上着のボタンをはずしていたところ、学は、急速にチアノーゼが出現し、無呼吸、心拍聴取不能の状態となつた。

6  ところで、そのとき右循環器研究室にいた名大病院関係者は、西村及び福井の二名の医師のほか、実験及び事務を手伝つていた訴外中西某(以下「中西」という。)であるが、福井は、学が嘔吐するのを見て間もなく、外来治療室へ血圧計を取りに行つており、中西は、学が呼吸停止、心拍聴取不能の状態になつたとき、西村に命じられて副腎皮質ホルモンであるソルコーテフを取りに行つた。したがつて、西村は、一人で救急措置を行わざるをえなかつた。

7  学が検査の際に寝かされていたベッドは、いわゆるバカンス用の簡易ベッドであり、金属のわくにビニールのひもで編んだものをベッド面としたものであつた。西村は、学がショック様の状態となるや、まずその気道確保をしつつ、同人に対し口うつし法による人工呼吸と心臓マッサージとを交互に行つた。なお、西村が口うつし法による人工呼吸を行つた際、息をふき込んでも学の胸郭は十分広がらなかつた。

8  福井は、学が嘔吐した二、三分後に循環器研究室にもどつて来たが、西村が心臓マッサージをしているのを見て、再び外来治療室へ点滴セット等を取りに行つた。

一方、原告智津子は、循環器研究室の前の廊下に二度出て、大声で助けを求め、この結果、同日午前一一時五〇分ころ、近くの研究室の医師五、六名が参集し、協力して学に対する救急措置をなした。

9  同日午前一一時五四分ころ、麻酔科の医師が学の気道に挿管を行つたところ、気道から指先大の量の飯粒が出てきた。

その後医師らによるそ生術が続けられ、同日午後〇時三〇分ころ、学の心臓はそ生し、同日午後一時ころには自発呼吸が出現した。

10  しかし、学は、意識回復のないまま、同月一三日午後一〇時一〇分ころ死亡するに至つた。

なお、名大病院は、原告らに対し、学の遺体を解剖することの承諾を求めたが、原告らはこれを拒否した。

二ところで、学がアナフィラキシーショックにより死亡したことは当事者間に争いがないところ、右ショックがICGによるものと断定しうる証拠はない。

しかしながら、<証拠>によれば、名大病院においては、学の死亡当日、その死因をICGによるアナフィラキシーショックの疑いと診断したことが認められ、このこととICG以外のショック原因の存在を窺知すべき事情の主張、立証は全くないこと及び前記認定の学の死亡に至る経緯を総合勘案すれば、学の死因は結局ICGによるアナフィラキシーショックであると推認せざるをえない。

三そこで、次に、ICGの副作用とこれについての予見可能性の点について考える。

1  請求原因3の(一)の事実及び次の事実は当事者間に争いがない。

(一)  ICG一瓶中にはインドシアニングリーン二五ミリグラムが入つているが、その中に含まれるヨードは約三ミリグラムである。ICGは肝機能検査及び循環機能検査をするために用いられるが、両検査とも、ICGの水溶液を被検者の血流中に注入して行われる。学に対してなされた検査は、循環機能検査であつて、色素希釈法と称され、血流中に注入されたICGの濃度変化を連続的に記録することによつて得られる色素希釈曲線を解析することにより、心臓疾患の有無、種類及び程度を知りうるものである。

(二)  肝機能検査におけるICGの使用量は循環機能検査におけるそれの約五倍であるところ、請求原因3の(一)掲記の雑誌に報告された副作用事例及び同項掲記の医薬品副作用情報に紹介された症例はすべて肝機能検査においてICGが使用された場合のものである。

(三)  循環機能検査におけるICGの使用量は一回につき五ないし一〇ミリグラム(水溶液にして一ないし二ミリリットル)、その中に含まれるヨードは〇・六ないし一・二ミリグラムで、いずれもそれ自体極めて微量である。

(四)  ヨードを含有する検査用注射剤としては、ウログラフィン(尿路・血管造影剤)やビリグラフィン(静脈性胆のう・胆管造影剤)があり、これらの使用量中に含まれるヨードの量は、ICGのそれに比較しはるかに多量であり、両者の使用説明書中の使用上の注意欄の内容にも顕著な差異がある。すなわち、ICGについては、ヨード過敏症、アレルギー体質者には慎重に投与することとされているのに、ウログラフィン等については、ヨード過敏症の患者には投与しないこと、アレルギー体質者には慎重に投与することとされている。また、救急処置の準備については、ICGについては何らの記載がないのに、ウログラフィン等については、直ちに救急処置のとれる準備が望ましいと記載されている。

2  しかして、<証拠>によれば、次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(一)  総合臨床第一六巻第七号(昭和四二年七月発行)には、「法医学の立場により観た薬物ショック死」と題する講演要旨が掲載されているが、それによると、剖検上判定された薬物ショック死の主素因としては、胸線(リンパ)性体質等が挙げられているところ、肝臓の機能異常が素因として合併しているものが一九四例中七六例あり、全事例中に占める割合自体が多いのみならず、他の合併素因のある事例のどれよりもはるかに多いとされている。請求原因3掲記の雑誌に報告された自験例も慢性肝炎で加療中の者についてのものであり、同項掲記の医薬品副作用情報に紹介された死亡例も患者の原疾患が肝硬変(腹水あり)であつたものであつて、肝臓病と薬物によるショックとの間にかなり強い関連性があることをうかがうことができる。

(二)  名大病院の第三内科循環器研究室においては、本件事故発生以前に、約二〇〇〇例のICGによる循環機能検査をしたが、副作用の発生は軽重にかかわらず全くなかつた。また、東北大学医学部附属病院において昭和四二年から昭和四九年三月までに約三〇〇〇例、近畿大学医学部附属病院において昭和五〇年五月から昭和五八年七月までに約六〇〇〇例の、いずれもICGによる循環機能検査がなされたが、アナフィラキシーショック様症状を呈した例は全くなかつた。

(三)  ICGは昭和四二年九月一一日に販売が開始されたものであるが、そのときから昭和五二年までに販売された同剤は二五ミリグラム入りの瓶にして三二二万七〇〇〇本であり、昭和五三年から昭和五八年までのそれは同瓶で四九五万二〇〇〇本であるところ、販売開始時から本件事故発生時までに、製造者である訴外第一製薬株式会社が知りえたICGによると思われる死亡事故は、請求原因3の(一)掲記の医薬品副作用情報において紹介された肝機能検査における一件のみである。なお、右販売開始時から昭和五八年までの右製造者が知りえたICGによると思われる死亡事故は、右紹介にかかる事故及び本件事故を含めて一〇件であるところ、循環機能検査におけるものは本件事故のみであり、その余はすべて肝機能検査におけるものである。

(四)  ウログラフィン及びビリグラフィンには一ミリリットルのテスト液が添付されているが、六〇パーセントのウログラフィンのテスト液一ミリリットル中には二九二ミリグラムのヨードが三〇パーセントのビリグラフィンのテスト液一ミリリットル中には一五〇ミリグラムのヨードがそれぞれ含まれている。すなわち、循環機能検査に用いられるICGの中のヨードの量は、右各テスト液中のそれよりもなおはるかに少ないものである。

3 ところで、名大病院は、名古屋地方では最高の医療技術と設備を保有し、医薬品の副作用に関し厚生省からモニターに指定されていること、その第三内科はインドシアニングリーンにつき高度の知識を有することは当事者間に争いがないが、かかる事実を考慮してもなお、右1、2の事実関係に照らすと、本件事故当時同病院に勤務する医師において、循環機能検査におけるICGの投与に際し、一過性のものについてはともかく、死に至る重篤な副作用が発生することを予見することはできなかつたものというべきである。

原告らは、その主張にかかる医薬品副作用情報において、ICGによると思われる死亡例が紹介されていることを根拠に、右予見可能性の存在を主張するが、右例は肝機能検査におけるものであつて、ICGの使用量が格段に多く、かつ、当該患者は肝硬変(腹水あり)の疾患を有していた事例であつて、これでもつて循環機能検査の場合にも同様の危険性があると予見しえたものとなすことは到底できない。もつとも、<証拠>によれば、訴外第一製薬株式会社においては、肝機能検査も循環機能検査も、同一種類のICGを用い、投与経路も同じく血管内であるから、原理的には副作用の危険性につき差異はないとの見解を基に、同剤の製造販売に当たつていることが認められ、<証拠>中には、ICGの使用量が異ることによつて副作用の危険性に差は生じない旨の供述部分があるが、右の死亡例は、循環機能検査の場合と比較し、単にICGの使用量が異るのみならず、これに加えて当該被検者が重度の肝臓病の疾患を有していたのであり、ショックと肝臓病との関連性については前記2の(一)で検討したとおりであるから、右製造者の見解や証言により前記判断を左右すべきものではない。

四仮に原告ら主張の予診義務、説明義務、救急準備義務が存在し、被告側において何らかの違反があつたとしても、学の死亡という結果が予見しえない副作用によるものである以上、被告においては、右結果につき債務不履行責任も不法行為責任も負ういわれはないから、右各義務を根拠とする原告らの本訴請求は、その存否、違反の程度等その余の点の判断をするまでもなく、理由がない。

そこで、救急処置上の過失に基づく原告らの請求について検討する。

(一)  患者がショック状態に陥つた場合、医師としては、患者に対し、直ちに適切な気道確保、人工呼吸及び心臓マッサージを行う義務があることは当事者間に争いはない。

(二)  原告らは、西村が、吐き気を催した学に対し、深呼吸をするよう指示したため、嘔吐物を誤嚥せしめ、気管を閉塞させたと主張する。

学の気道に飯粒が入つていたことは、前記一で認定したとおりであつて、これは右主張にそう事柄であり、この飯粒が人工呼吸の効果を妨げたことは容易に推認しうるところである。

しかしながら、<証拠>によれば、人は、気道内に異物を誤嚥した場合には、咳嗽反射により咳をするものであること、学は嘔吐前に咳をしたことはあるが、嘔吐開始後は咳をしなかつたことが認められ、右認定を左右しうる証左はない。

してみれば、深呼吸によつて誤嚥が生じたとする原告らの主張は採用できず、この点を前提とする原告らの本訴請求は、債務不履行責任及び不法行為責任のいずれに基づくものも、理由がない。

(三) 原告らは、西村が気道確保及び心臓マッサージをしなかつた旨、これをしたとしても、弾力のある簡易ベット上に寝かせたままなしたものであると主張し、<証拠>中には、右主張にそう部分があるが、西村が気道確保及び心臓マッサージをしたことは前記一で認定したとおりであり、<証拠>中この認定に反する部分が措信できないことも、そこで指摘したとおりである。西村が簡易ベッド上で学に対し心臓マッサージをしたこと及び右簡易ベッドの構造は、前記一で認定したとおりであるが、<証拠>によれば、右ベッドは、その上で心臓マッサージをするのが不適切なほど弾力性のあるものではないと認められ、<証拠>中右認定に反する部分はたやすく採用しえない。

してみれば、右主張に基づく原告らの本訴請求は、債務不履行責任及び不法行為責任のいずれに基づくものも理由がない。

五よつて、原告らの本訴請求はいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官伊藤邦晴 裁判官合田かつ子及び同佐久間政和は、転補のため署名押印できない。裁判長裁判官伊藤邦晴)

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